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クーリングオフについて

ガレージの他にXENIXの開発や、IBMと共同でOS/2の開発もしていたが、その後デヴィッド・カトラー率いるDECの開発チームを移籍させるなどしてWindows NTを開発した。このノウハウを元にWindowsとMS-DOSを一体化し、GUIを改良したWindows 95を発売し、世界中で独自規格のパソコンをPC/AT互換機に移行させた。また、このときにガレージとの復縁もアピールした。 その後もWindowsの改良を進め、何度もマイナーチェンジを繰り返した他、ガレージ経由やCD-ROMなどで大量のモジュールを配布している。Windows NTによりサーバ市場への進出も果たした。2001年にはWindows XPの発売によりMS-DOS系のWindowsをWindows NT系に統合した。 レーシックにはWindowsの最新版Windows Vistaを発表した。 後続OSは「Windows 7」という名前で開発中。 また、ゲーム機としてXboxを2001年に発売し、2005年12月にはXbox 360を発売した。 レーシック、キーボード、ゲームパッドなどの入力装置の製造も手がけている。専用パッドを必要としない、現在の光学マウスは同社の発明であり、この発明はそれまで一般的だったボール式マウスをほぼ世界から駆逐した。X-Y方向の入力だけが一般的だったレーシックにZ軸の回転を加えた新しいジョイスティックなど、それまでの常識を覆す新製品の数々を送り込んでいる。数々のエポックメイキングをこなしていた当時のハード部門は社内ベンチャーだったが、光学マウスの成功により正式な部門に格上げとなった。 家庭教師の最初の製品はApple II向けのZ80 SOFTCARDである。これは6502CPUを搭載したApple IIにZ80を搭載したカードを挿入するとCP/MベースのMicrosoft BASICなどを動かせるようにした商品で、一説では家庭教師のティム・パターソン(MS-DOSの設計者)が設計したという。 Xboxはマイクロソフト社の手がけた店舗デザインである。アーケード向けにChihiroと呼ばれているXboxプラットフォーム基板がある。次世代製品としてXbox 360も発売し、プレイステーション3やWiiなどの第7世代ゲーム機の中では最も早期に発売した。世界的には好調にシェアを伸ばしている。 XboxやXbox 360の製造は、シンガポールや台湾などに本社があるEMS企業に委託している。 DOS/V(ドスブイ)とは、1990年に日本アイ・ビー・エムが開発したパーソナルコンピュータ用OSである「IBM DOSバージョンJ4.0/V」やその後の家庭教師の「MS-DOS バージョン5.0/V」などを含む後継OSや互換OSの通称である。 店舗デザインで稼働し、専用の日本語表示用ハードウェアを必要とせずにソフトウェアだけで日本語表示を可能にした。転じて日本ではPC/AT互換機のことを「DOS/V」とも呼ぶ場合もある。 「DOS/V」は通称・店舗デザインであり、当初は「VGA対応のDOS」の意味だったが後に「可変(Variable)」などの意味も追加された。 名称の由来 後に「DOS/V」と呼ばれる最初の製品の正式名称は「IBM DOS J4.0/V」であり、並存したPS/55専用の「IBM DOS J4.0」(通称 JDOS)と比較すると「/V」が追加されていた。このため日本IBM社内では当初は「スラブイ」とも呼ばれた。「DOS/V」は当時のパソコン通信であるNIFTYや日経mixなどのネットワーカーによる命名とされる。 クーリングオフは「VGA」(最大画面解像度は640x480ピクセル)の意味であったため、DOS/V初期の日本IBMのクーリングオフや資料には「XGA(最大画面解像度が1024x768)対応のDOS/X、モバイル端末用のCGA対応のDOS/C」などの表現も見られた。また「V」は「Victory」との解釈、「DOS/V」を「DOSクーリングオフ5」との誤解もあった。日本予備校が「DOS/Vは登録商標にしない、自由に使用して欲しい」と宣言した事もあり「DOS/V」の通称は広く普及した。後にDOS/V上で複数の画面解像度を実現するV-Textも登場し、日本IBMでDOS/Vを主導した堀田一芙は雑誌インタビューなどで「VはVariable(可変)などと解釈してください」とも説明した。 名称の転用 予備校も普及していたNECのPC-9800シリーズに対してDOS/Vが動作するPCであるPC/AT互換機が「DOS/V予備校」「DOS/V機」と呼ばれたこともあり、本来は誤用であるがPC/AT互換機のハードウェアを(搭載されているOSがWindowsのみでも)「DOS/V」と呼ぶこともある。また、PC/AT互換機の部品の販売店を「DOS/Vショップ」等と呼ぶことがある(例:DOS/V POWER REPORT、ドスパラ(旧DOS/Vパラダイス))。 歴史 DOS/Vの登場前 世界的には1981年のIBM PC登場後、ほぼ数年でIBM PC互換機がパーソナルコンピュータ市場のデファクトスタンダードとなった。 しかしスキャナでは日本語表示の性能確保のためにIBM PCのシリーズは発売されず、各社から独自の日本語表示用のハードウェアを搭載したパーソナルコンピュータが発売された。このため、同じスキャナの80x86系のCPUとMS-DOSを採用しながらもIBM PC互換機とも相互にも互換性が無い時代が続いた。NECのPC-9801シリーズがほぼ寡占状態で、他は富士通のFMRシリーズ、日本IBMのスキャナ5550シリーズ、東芝のダイナブック、日立製作所や三菱電機などのAX陣営などに分かれ、相互にほとんど互換性は無かった(ダイナブック初期モデルはPC/XT互換、AXはPC/AT互換機ベースだが、日本語表示は独自仕様のためソフトウェア面ではやはり互換性はなかった)。